「怪物のような革命」と「禁書目録」:マリオ・インフェリーゼ「禁書」

 

 

 

 

「怪物のような革命」は、作家ー哲学者によって仕組まれた企ての結果以外の何物でもなかった。そして彼らは、まさに留保なく表現できる力を借りて、キリスト教と旧体制に対する世論を盛り上げたのである

検閲の歴史を書いた本。表紙の印象とは異なり、180ページほどの小著で、すぐに読める。

検閲の様々な態様

出版制限については、イタリアでははやくも1472年(「イタリアに活版印刷術が導入されてから数年しか経ていない」時期)に、粗悪なプリニウス作品の版に激怒して、「主に古典作品の出版許可を出す専門家委員会」の設立を、司教が要望している。文学者自身が、粗悪な文学が世に出ないために文章校正を行う、ということもあったらしい。
そういう学術的な意味の抑制がはたらいただけではなく、書物は危険なものでもあった。つまり、権力者にとってはかれに敵対する書物が、聖職者にとっては「あやまった」神学が広まる危険があった。

16世紀はじめごろから、政治と宗教による検閲が行われ始める。1501年、教皇アレクサンデル6世は、事前検閲の原則をさだめた。また、1502年、アラゴン王国、カスティーリャ王国では、再販出版物と輸入書籍について、事前免許制をかしていた。
だが、やはり検閲の「必要性」をかれらがさとったのは、宗教改革の運動だった。
ルターの著作は「1517年から1530年のあいだに…30万部以上広まった」。そして、プロテスタント改革と印刷技術は大きく結びついたものとなった。

主はもはや剣ではなく、印刷技術や、著作と購読を用いて強力な敵と戦うことで教会のために働かれた。…世界にいくつもの印刷機械が存在すればするほど、サンタンジェロ城(教皇庁)に強い反発が生まれるだろう。したがって、教皇が学識と印刷技術を葬り去るか、もしくは最終的にこの技術が教皇に打ち勝つか、そのどちらかであろう

ジョン・フォックス

「禁書目録」の効果

一方で禁書目録(index librorum pyohibitorum)がつくられたが、プロテスタント派の人々にとって、それは宣伝となる側面もあった。それに、

「逆説的に、禁書指定した側がそうした書物をめぐる世間の人々の好奇心を引き起こすことで、まさに抑圧を受けたいくつかの事例においてこそ、禁書となった書物の生存が可能になった」149ページ

ともされている。

反宗教改革としての検閲の役割を紹介しながら、本書は別の側面、つまり国家による統制システムや、統制システムを前提として出版していた出版者にも光を当てている。

最終的に1966年に廃止されるまでに、禁書目録には4000冊が掲載されていたが、そのなかにはヴォルテール、ルソー、ギボン、バルザック、フロベール、デカルト、ダーウィンが含まれていた。それぞれどのような理由で禁書になったのかは興味深いけれど、個別に調べるしかない。

「人権宣言」と出版の自由

本書はフランス、1789年、ラファイエットら起草の「人間と市民の権利宣言」(人権宣言)における、「出版の自由」の確認で終わっている。このフランス人権宣言はアメリカの人権宣言(ヴァージニア権利章典など)の強い影響を受けているけれど、本書ではヨーロッパでの展開の叙述がおもになっている。そして、この自由はかつて獲得されて、いまやもはや問題ではないというような、過去のものではない、と著者はいう。

抑圧活動が、しばしばその忌まわしき作業を遥か昔の時代のみに行っていたかのように表現される状況は、問題を非歴史化してしまうことに貢献する」「時代に則して変化していくことを好ましいものとみなさない、そうした考えに固執し続ける危険性が存在する。いまだ定義づけることのできない事柄を知覚し、受け入れが困難になる場合がそうである

いまだ解決されるにはほど遠い状態にあるこうした問題を過度に単純化し、地震に影響を及ぼすようなすべての話題を控えることで、統治される側の意見と食い違ったままでいることが許されるような権力など存在しない。そして問題を単純化し、統治される側と異なる意見を持つものたちに対処するにあたって、焚書や禁書がつねにより効果的な手段であるとは限らないのである

(本書150pより引用)
参考資料:
詳説世界史
憲法学 芦部
憲法 芦部

コメント