「私も苦しい道を歩きたいと思った」田山花袋「蒲団」

 著作について

1907年発表。著作権保護期間が満了しているため、青空文庫でも読むことができます。

図書カード:蒲団

「蒲団」のあらすじ

花袋は

私も苦しい道を歩きたいと思つた。世間に対して戦ふと共に自己に対しても勇敢に戦はうと思つた。かくして置いたもの、壅蔽(ようへい)して置いたもの、それと打明けては自己の精神も破壊されるかと思はれるやうなもの、さういふものをも開いて出してみようと思つた

と「東京の三十年」で回想しており、本書は「恥」を描いた文学と呼ばれることもある。明治40年発表。

島村抱月は、「此の一遍は肉の人、赤裸々の人間の大胆な懺悔録である」と本作を評している。

主人公は竹中という男で、田山自身がモデルということになっている。

筆名は竹中古城で、「少女病」の主人公が杉田古城だったし「田舎教師」にも山形古城という筆名の人物が出てくる。ともあれ、かれは新たな恋を求めるロマンチストだった。

今より三年前、三人目の子が細君の腹に出来て、新婚の快楽などはとうに覚さめ尽した頃であった。世の中の忙しい事業も意味がなく、一生作ライフワークに力を尽す勇気もなく、日常の生活――朝起きて、出勤して、午後四時に帰って来て、同じように細君の顔を見て、飯を食って眠るという単調なる生活につくづく倦あき果てて了しまった。家を引越歩いても面白くない、友人と語り合っても面白くない、外国小説を読み渉猟あさっても満足が出来ぬ。いや、庭樹にわきの繁しげり、雨の点滴てんてき、花の開落などいう自然の状態さえ、平凡なる生活をして更に平凡ならしめるような気がして、身を置くに処は無いほど淋しかった。道を歩いて常に見る若い美しい女、出来るならば新しい恋を為たいと痛切に思った。

また仕事上でもあき足りない思いを抱えている。

渠はある書籍会社の嘱託を受けて地理書の編輯の手伝に従っているのである。文学者に地理書の編輯!

花袋自身も明治36年に、「大日本地誌」の編集をしていた。

そんな彼のもとに「渠の著作の崇拝者で、名を横山芳子という女」から門下生になりたい、という手紙が届く。彼女を門下生として受け入れた竹中は、「姉の家に寄寓させて、其処から麹町某女塾に通学」させることにした。
ところがそれから一年半がすぎると、芳子に田中秀夫という秀才の恋人ができ、竹中は芳子の心が奪われたことに苦しむ。二人の恋を見守りながら、監督者として「師としての温情と責任」をつくすべき立場と、恋する男性としての立場の板挟みになる。
最後は芳子は父に連れられ故郷に帰り、田中とは分かれ分かれになってしまう。それは同時に竹中の生活が旧(むかし)の轍にかえったことを意味していた。

なつかしさのあまり竹中は「芳子が常に用いていた蒲団」に顔をおしつけて、その匂いを嗅ぐ。

その後(「縁」「幼きもの」)

「芳子」(のモデルである岡田美知代)を扱った小説には続編があり、『縁』(『生』『妻』とならび三部作を構成)『幼きもの』とつづく。
『縁』では『蒲団』のあと、再び上京した芳子(敏子)のその後……田中(馬橋:まばし)との復縁と離縁(と復縁)、そして国木田独歩(田辺)の病床での姿が描かれている。

この作品では、花袋(服部清)自身は監督者としての立場からぶれることはない。この点、小谷野は、「つまり、花袋は確かに岡田美知代と彼女をめぐる事件を題材にはしたけれど、そこで展開される作家=竹中の心事は、こしらえごと、というより、よそからもってきたものと考えるのが妥当なのである」と「明治の文学」の解説で述べている。
また、『幼きもの』では、『縁』の最後、寺に預けられた嬰児の死が、客観的な視点で描かれている。

「蒲団」の影響

本作の影響を受けた小説には、島崎藤村の「家」徳田秋声の「黴」などがある。

批評

批評のうち、いくつかを紹介する。

一方で、作中でかかれる竹中の恋愛は、「浮気の出来損ない」であり「いい気な独り相撲」でしかなく、さらには花袋がそれを十分に客観化しえておらず、竹中と同じ立場で恋愛を扱っている点、「借り物の恋愛の観念に陶酔」しているだけだという批判もされている。(中村光夫「田山花袋論」)

柄谷行人は「日本近代文学の起源」の「告白という制度」で、「告白という制度」そのものが「隠すべきこと」を作り出す、と指摘(99p)したうえで、島村抱月を引用する。

島村抱月は、今までの小説は「醜なる事を書いて心を書かなかった」が、田山花袋は「醜なる心を書いて事を書かなかった」と指摘している。

この「心」こそが「内面」であり、「告白」によって存在させられたものだという。そしてそれと同時に「性」も見出されることになり、はじめて「性」が書かれたことで、『蒲団』はセンセーショナルなものになった、としている。

小谷野は、「定本<男の恋>の文学史」で、これをひいたうえで、『蒲団』には「感傷」がかかれていて、それが「あたかも作中者自身の表白と思える書き方で書かれている」点に「花袋の「自己の精神を破壊する」覚悟」をみている。そのうえで、その感傷を「性」へと転倒していると指摘している。

また、梅沢亜由美は、蒲団は「行動することとは異なる、もう一つの「私」の世界の作り方」、すなわち「自己の「物語」は語りだすことで成立する」ことを示しており、「事実」は認識次第で変わることを示した、とした。そして、田山花袋の「事実」概念について、「美に偏った文学やそれに伴う<造り花>のような前時代的な人間観」を超えるために主張されたもの、すなわち「美化に対する<事実>」であるとした。(「私小説の技法」)
これが花袋がいう<露骨なる描写>ということになる。

補足すると、花袋は「「野の花」の序」(明治34年)において
「この頃の私の考えを言つて見やうなら、今の文壇は余りに色気沢山ではあるまいか」としたうえで、泉鏡花、広津柳浪、小杉天外らを批判している。
花袋はこのころ「重右衛門の最後」(明治35年)や「露骨なる描写」(37年)を発表したことで、ようやく文壇内に地位を築きつつあった。当時においては、「日本の近代文学においてはまずはものの見方を、認識の仕方を変えることがいかに大きな問題であった」かを、梅沢は指摘している。

参考・引用文献

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