「あたかも静かな深い利根の河口のおもむきにたとへたい」田山花袋「百夜」感想

「百夜」について

田山花袋の晩年の小説です。著者の著作権保護期間は満了していますが、青空文庫には掲載されていないので、お読みになる場合は、「定本花袋全集」等の書籍を参照ください。 

作家別作品リスト:田山 花袋

概要

希望の多い島田の生活だった。心も体もすべて生生していた。ひとつの草花に対してすらかれの心は動いた。かれは今建てつつある家屋に対して、その間にいかにこの人生が流れていったかをありありと思い浮かべた。感慨無量だった。かれはかれの姿を、時に或は沈み時に或は浮び、また時には漂いつつ、いつの間にかその長い年月を此処までやってきたことを考えずにはいられなかった。またかれの家庭にしても、その時分は幼かったものが大きくなって、てんでにほかに嫁していったり独立したりするような時期に到達していることを思った。やっぱりどうにもならないことだった。妻は妻、子は子、自分は自分だった。縁があって互に結びついてきたけれども――お互いに固く結びついてくる必要がある中は結びついてきたけれども、それを貫く紐がゆるくなるにつれて、皆てんでんばらばらになっていくのだった。そしてその向うには何があるだろう?空虚と死とがあるばかりではなかったか。

「お銀」と「島田」との会話から物語は始まる。「お銀」は小利、「島田」は田山花袋がモデルといわれている。小利は「縁」に、

その女はどこか敏子に似たところがあった。眼と眼の間が矢張遠かった

と登場したのがはじめという。二人はいわゆる愛人関係で、震災(関東大震災)を回想している。震災から二人の距離はぐっと縮まった。島田は恋がなれ果てて、「執着」や「習慣」になることを恐れている。恋愛と習慣が対比され、恋愛は「いつまでたってもさめないもの」だとされる。

もともとお銀は「そうした社会に雑って」いた、つまり芸者で、色々な男に思いを抱いたことがあったのだった。

対して島田は初めから

一風変わっていて、熱心になりそうで熱心にならず、そうかといって他の客のようにきっぱりとかの女を思いきってしまうのでもなく、ぢみな中にも何処か強い所が

あった。お銀は今では島田一人の世話になってくらしている。
としても島田の心には「鳥の影」のように疑惑が沸くのだった。そして

自分が影のようなものか何かに身を変じて、お銀の行動の一五一十を細かによそから見ていることができたら、どんなに幸せだろうか

と考えるのだった。回想をまじえながら、二人の日常が描かれる。
島田の夫婦生活が回想され、「恋」が「愛」に変わった、とされる。

「女にとっては男も必要だが、それ以上に子供が必要になっていった。子供を育てていきさえすれば、そこに最後の隠れ場所があると言う風になっていった。もはやそこには恋がなかった」

やがて島田はお銀に家を建ててやったり、お銀の病気があったりしながら、物語は淡々と進んでいく。小説はお銀が病院に行くところで終わる。

 感想

本作の魅力は、その淡々とした、しかししみいるような文体にあると思う。これを島崎藤村は、

「花袋子が数多き著作のうち、わたしの愛する作品は五つある。『生』『一兵卒の銃殺』『田舎教師』『時は過ぎ行く』、そして『百夜』である……晩年の『百夜』にまで到達したのは、あたかも静かな深い利根の河口のおもむきにたとへたい」。(島崎藤村『田山花袋全集に寄す』)

と評している。個人的に好きなシーンをあげると、島田が人生を回想する

希望の多い島田の生活だった。心も体もすべて生生していた。ひとつの草花に対してすらかれの心は動いた。かれは今建てつつある家屋に対して、その間にいかにこの人生が流れていったかをありありと思い浮かべた。感慨無量だった。かれはかれの姿を、時に或は沈み時に或は浮び、また時には漂いつつ、いつの間にかその長い年月を此処までやってきたことを考えずにはいられなかった。またかれの家庭にしても、その時分は幼かったものが大きくなって、てんでにほかに嫁していったり独立したりするような時期に到達していることを思った。やっぱりどうにもならないことだった。妻は妻、子は子、自分は自分だった。縁があって互に結びついてきたけれども――お互いに固く結びついてくる必要がある中は結びついてきたけれども、それを貫く紐がゆるくなるにつれて、皆てんでんばらばらになっていくのだった。そしてその向うには何があるだろう?空虚と死とがあるばかりではなかったか。(253)

 など。

補遺

「百夜」(1927)の後、花袋は最後の仕事、「明治維新の際の士族の没落を一大長編に書かうとしたもの」に取り掛かるが、それを完成させる時間は残されていなかった。脳出血、喉頭がんに侵され、昭和5年5月13日、花袋は息を引き取る。
5月11日、島崎藤村が見舞いに来た時に、
「この世を辞して行くとなると、どんな気がするかね」
「何しろ人が死に直面した場合には、誰も知らない暗い所へ行くのだから、なかなか単純な気持のものじゃない。」
というやりとりをした。藤村は「大きな人がこの世を辞して行く」と感想をのこしている

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