社会の需要とテクノロジーの変化:マーク・カーランスキー「紙の世界史」

    概要

    本書は「紙」の歴史をふりかえるとともに、テクノロジーの一貫した歴史を描きだした本です。いうまでもないですが、紙は人間の思考を記録することができるテクノロジーであり、2000年前から現在にいたるまで、文明に非常におおきな影響をあたえてきました。本書は一貫した歴史観(後述)にたちながら、この技術と人間とのつながりを語りおこします。

     テクノロジーの概念転換

    本書はテクノロジー(=知識の実践的応用(21p))についてのありがちな認識を変えるところから出発している。つまり、テクノロジーが社会を変えるという認識から、社会の方が、社会の中で起こる変化に対応するため、テクノロジーを発達させている、という認識にだ。

    そう考えると、紙はどのような変化に対応して発達したテクノロジーといえるだろうか?

    たとえば、筆は蒙恬という武将が発明したが、これは「より多くの文章を作成し、より意匠を凝らした文字を書きたい」という需要に答えたテクノロジーといえる。それまでの棒切れにとってかわったのは、その二つの需要にうまく答えたからだ。

    同じように紙も、それがあるだけで社会を変化させたわけではない。ヨーロッパは、紙の存在を知っていても、長年にわたり紙を使っていなかった。紙を導入し始めたのは、羊皮紙では到底対応しきれない需要が生じた、そうした社会の変化が生じたからだ、と著者は言う。

    そして、テクノロジーの歴史を概観して、著者は3つの命題をたてる。すなわち、

    ・新しいテクノロジーは古いテクノロジーを排除しない

    ・テクノロジー嫌い(=ラッダイト)は必ず敗北する

    ・テクノロジーは、多くの場合時の経過とともに安価になり、質が低下する

    ということだ。むしろテクノロジーは選択肢を増やし、また、テクノロジーそのものではなく社会の変化を変えるべきだということだ。

    印刷がプロテスタントの宗教改革を生み出したのではない。改革の理念とそれを広めようとする意志が印刷機をつくったのだ

    (13ページ)

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     記録と知識の応用

    様々な記録手段

    本書はまず記録手段を概観する。粘土板、パピルス、石膏、蝋板。最初にのせたテクノロジーの定義からすると、まず記録することが問われなければならない。

    農業が商業を生み、商業は数字を生む。話し言葉は意志疎通の効果的な手段だが、計算は記憶という義務を課し、さらにその上を求める。

    (25ページ)

    湿った粘土板に書かれた、シュメール人の楔形文字。そこに初めての詩が書かれた。(29ページ)

    ギリシャでしかつくれず、湿気に弱いパピルスにたいし、どこでも作れ、気候に影響されにくいのが羊皮紙の特徴だった。羊皮紙はまた擦り切れ、やぶれに強かったので、コデックスにも適していた。コデックスはもともと蝋板を束ねたものだったが、のちに羊皮紙を束ねたものもそう呼ぶようになった。現在の本の原型である。

    そういえば、「1417年」でも、ポッジョがルクレティウスの写本を発見するためには、すなわち写本が15世紀まで生き残るためには、羊皮紙に書き写される必要があった、と述べていた。

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    紙の発明

    テクノロジーが社会の需要から生まれるとすると、紙はいかなる需要からうまれたか?本書はそれを中国の官僚制にみている。

     いうまでもなく書字が中国の官僚制をつくったわけではない。官僚制はむしろ、文字が想像されていく中で大きな役割を果たした要素のひとつだったということだ。

    (49ページ)

    蔡倫はながく紙の発明者と考えられていたが、20世紀になって、彼よりも昔の時代に作られた紙が発見されて、その地位を失う。

    蔡倫の業績については不明となったが、ともあれその後紙は改良されていった。より質が良い紙へ、強度、色、墨の吸い込み具合、製造工程などの改良がおこなわれた。

    紙の発達

    つづいて紙はアラブ世界、ヨーロッパ世界で広まってゆく。いずれも、技術は単純な伝搬過程をたどるのではなく、社会の需要をはじめえとする諸条件が整って、はじめて導入されるといえる。(アラブ世界について83ページ以下、ヨーロッパ世界について125ページ以下参照)

    ダンテと紙

    ここで著者が注目するのがダンテだ。それまでのヨーロッパでは本はラテン語で書かれており、一部の人しかよまず、ほとんどの書物は社会的地位の象徴として、裕福層の本棚か、あるいは修道院のなかの専門家のためのものだった。

    ところがダンテは日常的な言葉で作品を書いた。このことが、本を読む習慣をつくりだし、書物が「ごくかぎられた集団」のためのものではなくなる=大衆化、需要の増加の、手助けをしたというのだ。

    しかしダンテ自身は羊皮紙に作品を書いた。このアンバランスというか、少しちぐはぐなところが面白い。(126ページ以下)

    技術と社会

    もっとも著者は最終的には、ここでも社会の知的文化的段階に答えを求めている。大量の紙は、数学や科学の進歩、法律、会計、音楽、地図製作などの分野で必要とされるものだからだ。

    そうした社会の変化によって、まず紙が導入された。しかし、14世紀、15世紀になると、写字生の数が不足してくる。ここで導入されるテクノロジーが、印刷術である。

    印刷術

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    活版印刷術はいくつもの技術が複合してできている。紙、インク、プレス機、木版印刷の技術、そして活字。

    あの20もある文字を、金でもなんでもそこらにあるもので手早くこしらえれば、ばらばらに散らばったその形からエンニウスの「年代記」をその場で読めるようにできるではないか

    キケロによる記録。157ページ

    印刷の進歩は、木版の発達もうみ、それは同時に庶民のための安価な絵画も生み出した。

    またヴェネツィアはその書籍の美しさもあり、書物の都として発達した。

    その後の展開

    本書は、その後の展開として、鉛筆、新型印刷機、木材パルプといった新技術や、宗教改革、新聞、暦、水彩画といった、紙にまつわる社会的文化の両面から、紙の歴史を振り返る。叙述は現代にまでおよび、日本における和紙や、電子書籍にまで話題は及ぶ。そこでも、冒頭の3つの命題は一貫している。

    感想

    本書の特徴は、

    ①紙の歴史・展開を現代にいたるまで一貫した視点で叙述したこと

    ②歴史を紙という視点から整理することで、一見、既知の出来事にも新たな光があてられること

    ③テクノロジーの一般原則を提示しようとしていること

    にあると思う。また本書の優れた点の1つとして、読みやすい日本語で、多くのトピックをわかりやすく整理されている点がある。書物について調べたいときに、はじめの一冊としても適していると思う。

    参考・関連文献

    ヴェネツィアにおける本の展開については本書が詳しいです。

    「紙の世界史」が社会の需要の増大によって紙にまつわるさまざまなテクノロジーが発達してきた光景をえがいたとするなら、本書は 情報の増大によって情報処理の需要がたかまり、それにまつわる様々な技術が発達した歴史を描いた一冊といえます。詳しくは以下記事を参照ください。

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