「流動的」で「多声的(ポリフォニック)」な中世写本の世界:ハイデ「写本の文化誌」

本書の概観

本書は、中世の本の制作過程をしるした一章と、パトロンによる注文製作をしるした二章、読者による受容を中心にみた三章、中世における作者概念や、中世写本の概観的考察を行った四章からなります。

1章

まず、羊皮紙、紙、蝋板、インク、絵具、羽ペンといった本の制作に必要な材料と、その作り方が説明される。(12p~29p)

つづいて、本の制作過程が概観されたのち(30~48p、76~79p)、視点は写本政策の具体的な場にうつる。書記は、修道院や、宮廷でおこなわれていたが、中世末期になると、写本政策を請負う、書記工房が登場する。(~56p)

書記についていえば、神への奉仕として書写を行っていた修道士・修道女が修道院での書記をになっていたが、中世末期になると、徐々に職業書記へとかわっていき、世俗の主人につかえるようになる。(64ページ)

一方俗世間においては、尚書局や都市の初期が文書の複写、保管などを請負っていた。

かれらは貴族に雇われ、文学蔵書を筆写したり(65p)していた。

書記の中には自由な書き換えを行うものもいた。ラテン語で書かれた文言は不可侵とされていたが、俗語のテキストはそれほど尊重されていなかったからだ。これについて、当時の作者自身が苦言を呈している例もある。(73p)

当時の写本の値段(80p)、保管方法などが紹介されたのち、印刷術の発明を紹介して、一章は終わる。印刷術の影響として本書は

・本が支配層だけのものではなくなった

・地位を誇示ためのものでなく、大衆をターゲットとした、経済社会の法則にしたがう商品となった

・パンフレットなどの新メディアが登場し、宗教改革に影響を与えた

・知の容量の飛躍的増加をもたらした。その結果、体系化、アーカイブ化の必要が生じ、図書館、蔵書カタログ、百科全書編纂などで対応した。

ことをあげている。(85p以下)

2章

文芸とパトロンとの関係(102)がのべられる。詩人たちの作品製作はパトロンに依存していた。(113p)パトロンの動機(117p)が考察されたのち、本書はマネッセ写本を検討する。(124p以下)

マネッセ写本は1280年から1330年に成立した、150年間の抒情詩を収録したテキストである。挿絵、装飾大文字、彩色大文字でかざられたあざやかな本写本の成立過程(132p)や、その注文者リューディガー・マネッセが紹介される。(140p)

マネッセ写本 – Wikipedia

のちの時代になって、ヨーハン・ヤーコプ・ボードマーとブライティンガーがゲルマン民族のパトスをこの写本にあてはめたことで、本写本のロマン派的理想化、ドイツの民族的財産とみなすみちをひらく。(142p)

すなわち、レッシング、ビュルガー、ゲーテ、ヘルダーといったメンバーがマネッセ歌謡写本に言及し、そうした熱狂が落ち着いた現代にあっても、政治的に利用される写本となった。

3・4章

テキストと絵の関係や、記憶術(いわゆる「記憶の宮殿」法)など、読者による受容のかたちがみられた(3章)あと、4章では、中世の作品の作者がいかなるものだったか、がみられる。

すなわちはじめは「作者についての記述がまったくない」状態だったのが、徐々にパトロン・詩人、作曲者の名前だけでなく、その身分、教養などの関連情報も記されるようになってくる。叙事詩については、その性質上作者の名が名乗られなかったが、13・14世紀の抒情詩では、詩は「むりやり作者別に振り分け」られ、正確性は重視されなかった。(以上196、7p)

そのころの叙事詩写本では、やはりタイトルも作者名もなく、近世初期になってようやく、作者名がかかれた本の「扉」が登場するという。中世においてはかわりにプロローグで作者が名乗っており、すなわち冒頭部分が失われることで、作者の推定が難しくなったケースもあるという。

また、信頼のおける記録が残る詩人として最も古いのは、「最後のミンネゼンガ―」、オスヴァルト・フォン・ヴォルケンシュタインであるらしい。(199p)

そして、当時の詩人の扱うジャンルが、身分によってことなっていたこと(211p)や、当時のテキストから、「著者意識」の萌芽がみられること(216p)を指摘する。また、11世紀末になってドイツという民族名・国名が言語名から二次的に成立したこと(233p)や、「流動性は中世文学の本質である」こと(237p)から、

中世詩人の仕事とは、すでに知られた素材に大小の変更を加えて新たな側面を付与すること、そしてそれを芸術的な文体で表現し、読者の心をとらえ、美的感動を与えることだった。物語の「原作者」であることを自慢するものがほとんどいなかったのは、そのためだろう

(241p)

という結論をひきだす。

そして、中世の文学世界においては、

写本の一つ一つがその物質的存在感と、その成立にかかわった作者、書記、編集担当者、挿絵画家、装飾画家、注釈者、編纂者との結びつきの中で「多声的な意味連環」を生み出している。

(249p)

とされる。

感想

本書は今でいう「著者」の成立以前の時代の、写本をめぐる文化状況を説明することで、当時における著者の役割を説明しています。一部ポストモダン哲学を意識した論述もありますが、論旨は明快です。

また、中世の本の製作過程・書字室の様子もわかりやすくのべられているので、その点を知りたい場合にも、本書は役立つと思います。

当時の本の需要がどのようなものであったか。について、パトロンと著者の関係についても一章をたてており、パトロンが何を求めて本を注文していたのかなどが理解できます。

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