「太陽・惑星」上田岳弘

「太陽」

本編は色々な文学、作品を連想させる。太陽の眩しさに苦しむ通り魔はまるでカミュの異邦人だし、パラメータや因子の自由変更が可能になり、記述の束が無意味になった時に、なお特定の人間を指し示すことができるか、については、分析哲学の思考実験を思い起こさせる。また、誰にも読まれることのなかった著書をしるしたドンゴ・ディオンムはまるで百年の孤独の登場人物だし、本編の終わりもどこかそれを連想させる。

本書は金(かね、きん)をめぐる物語だといえる。

錬金術が目指した二つの目的は、つまり不老不死の実現と金の生成は、人類の究極的な目的だったのではないか

(59)

本編では不老不死は早くに実現した。そして残された目的である金の生成、すなわち「大錬金」をめぐって物語は進行する。本編の語る終焉は、頽落の果ての自己破滅にもみえるが、「無意義な環境に置かれ、無慈悲に消え去っていった者たちの価値」の復権でもある。(94)

「惑星」

「太陽」と同じように、本編も一見ばらばらの物語が、終盤にいたるにつれ、同一の目的(=終わり)にむかって収斂していく。

本編は「最強人間」フレデリック・カーソンにむけて出される、「最終結論」からのメールというかたちをとっている。

なぜなら私は、最終結論そのものであるのだから。

(128)

 他者が透明になった世界では、問いが反転する。個とは何か、という問いが、興味深いものとなってくる。本編の展開はそのシミュレーションだ。我々が小説を読むのは、すくなくともその一面には他者とは何か、への問いが含まれていると思うけれど、だから本作は反転した小説といえるかもしれない。

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