「ヒゲの日本近現代史」阿部恒久

 ベートーヴェンを聞けば、ベートーヴェンさ。モオツアルトを聞けば、モオツアルトさ。どっちだっていいじゃないか。あの先生、口髭をはやしていやがるけど、あの口髭の趣味は難解だ。うん、どだいあの野郎には、趣味が無いのかも知れん。うん、そうだ、評論家というものには、趣味が無い、したがって嫌悪も無い。僕も、そうかも知れん。なさけなし。しかし、口髭……。口髭を生やすと歯が丈夫になるそうだが、誰かに食らいつくため、まさか。宮さまがあったな。洋服に下駄ばきで、そうしてお髭が見事だった。お可哀そうに。実に、おん心理を解するに苦しんだな。髭がその人の生活に対決を迫っている感じ、とでも言おうか。寝顔が、すごいだろう。僕も、生やして見ようかしら。すると何かまた、わかる事があるかも知れない。マルクスの口髭は、ありゃ何だ。いったいあれは、どういう構造になっているのかな。トウモロコシを鼻の下にさしはさんでいる感じだ。不可解。デカルトの口髭は、牛のよだれのようで、あれがすなわち懐疑思想……。

概要

本書はヒゲの話である。本書の叙述は菅原道真に由来する天神髭にはじまり、鳥羽院時代に髭を剃る習慣がおこなわれだす、とつづく。しかし「~長く生たるを尊むの風は武人の間に」残り、鎌髭、八の字髭や鐘馗(しょうき)髭などに移り変わるが、江戸時代には「大髭禁令」がだされ、髭そり、髭なしが一般となった。

そのような(近世までの)歴史を概観したのち、いよいよ本書のメインである近現代史の領域にはいる。「黒船」とともにやってきたアメリカ艦隊の高官の饗応の席において、高川文筌(たかがわぶんせん)の記録した「亜米利加使節饗応之図」は彼らがヒゲをおおく蓄えていることを現代に伝えている、と著者は指摘する。鎖国の終わりは、ヒゲとの出会い(再発見)でもあった。

以後、本書は「髭と男性性」をテーマに、髭の有無の社会的意味を考察していく。西洋の文化の輸入とともに、髭の流行も変化する。

明治時代の権威主義的な髭から、ロナルド・コールマンやチャップリンの影響で小さな髭が主流になったとおもえば、軍国主義の台頭により、ふたたびヒゲが復権する。「国際ヒゲクラブ」や「以髯会」などをになった老年層である。

以髯会とは初めて聞いたのだけれども、どうも本書によれば、1936年に東京目黒の雅叙園で髭自慢80名あまりが集まり結成したもので、禿頭の「光頭会」に対抗してつくられたものらしい。(174)

つづいて本書は「戦争とひげ」のつながり、髭による戦意高揚をめざした雑誌「髯舞台」をとりあげている。あくまでこれは以髯会の刊行した雑誌であって、読者はまあそういうものもあったのか、という感想をもたれるとおもうけれど、つづいて日中戦争の長期化にともない、読売新聞が「戦争とヒゲ」という記事を連載していることや、その他の記事の引用(188)が紹介されるにいたると、ヒゲと戦意高揚のつながりは、疑いようのないものに思えてくる。

そして戦後、たしかにヒゲ戦意高揚とがむすびつけられていたのであれば、敗戦とともにヒゲは消失しそうにも思える。しかし著者は、ここでも調査をおこない、現代のような、ヒゲが珍しがられるような状況は、高度経済成長とともに生じた、と指摘する。(204)

以後現在までの状況がみられたのち、ヒゲの流行に影響を与えた4要因が適示され、まとめが行われる。

感想

日本史などの写真をみていると、特徴的な髯の写真が印象に残ることがあると思います。人名は忘れてしまっても、忘れられないのが髭だといえるかもしれません。

本書は髯の流行についても通時的にみています。そこで本書を読んだ後、日本史の写真をみて、「ああ、これは〇〇時代のひげだな」と、あたりをつけて楽しむことも、本書の楽しみ方の一つだと思います。

また引用資料の豊富さも、本書の特徴です。当時の文献に語らせることで、同時代の空気を感じることができるのも、楽しい所です。

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