「死刑囚最後の日」ヴィクトル・ユゴー 小倉 孝誠 訳(光文社古典新訳文庫)

概要

本書はビセートル監獄に収監された死刑囚の手記という形式を通じて、ユゴーが死刑制度に反対する意思表示を行った小説です。まず1829年に匿名で出版され、のちに実名で刊行しなおしました。このさい、(本書にも併録の)1832年の序文が付されました。(偶然でしょうが1832年という年は「レ・ミゼラブル」において、武装蜂起がおこった年でもあります。)

本書は心理描写の巧みさ、当時の監獄の状況、大衆の描写など、小説としてもちろんすぐれています。その詳細はぜひ原書にあたっていただくこととして、本記事では背景事情をいくつか拾っていきます。

刑罰の正当化根拠

本書の出版背景には死刑制度に関する議論があります。これに関連して、刑法学の分野では、刑罰がいかにして正当化されるか、という議論があります。

一般的に刑罰には生命刑、自由刑、財産刑がありますが、この正当化根拠としては応報刑論と目的刑論があります。

応報刑論とは、犯罪を理由に刑を科すというもので、目的刑論とは犯罪を予防するために刑を科す、という考え方です。

目的刑論はさらに二つに分かれ、一般人への威嚇効果としての目的を強調する一般予防論と、犯人自体が将来犯罪を行わないよう教育するという目的からくる、特別予防論があります。

現代ではこれらの見解を統合した見方が主流です。(相対的応報刑論)

ユゴーの主張

「解説」によると、死刑の正当性について、

①社会に大きな害を及ぼす成員は排除されるべき

②社会は…被害者の復讐や罪への罰を果たすべき

③見せしめによって犯罪の拡散を防ぐことができる

ことが、当時の主流の死刑存続根拠とされています。(241、214)

ユゴーはこれにたいして一つ一つ反論しています。

すなわち①については終身刑で十分であり、②については復讐は個人がするべきであり、また罰は神が行うべきであって、社会はむしろ改善するために矯正すべきである、とします。③については、見せしめは教化作用よりもむしろ、民衆を不道徳にする、と主張しています。

本書と取材

1828年、ユゴーはビセートル監獄を訪問しています。そこで死刑囚監房も視察しており、その光景に衝撃を受けてかいたのが本書です。また1839年にはトゥーロンの徒刑場を訪問し、労役の様子を確認しており、「レ・ミゼラブル」でも、ジャン・ヴァルジャンを徒刑囚として設定しました。ジャン・ヴァルジャンが身分証を破り捨てるシーンは、レ・ミゼラブルの映画でも印象的なシーンでしたが、本作にも(ドラマチックさではおよばないものの)類似の問題意識がみてとれます。

ところが旅行券のやつめ! 黄色なんだ、放免囚徒と書きつけてあるんだ。

www.aozora.gr.jp

いわゆる社会復帰の問題や、死刑制度の問題など、ユゴーの問題意識や、共通するモチーフに注目して、レ・ミゼラブルその他の関連作品を読んでみるのもよいかとおもいます。

終わりに

なお、解説で指摘されている通り、本書はその形式においても特徴的な小説となっています。来歴、犯した罪などがいっさいあかされず、主人公は匿名といえます。「黄ばみ、汚れていて、折り目の部分は破けている」(153)ような手記という形式は、ギロチンをはじめとする制度・手段と対比されることで、システムの前に立たされた匿名の人間という点で、どこかカフカをおもわせるところがあります。

さいごに、上に青空文庫のリンクをのせましたように、本作はWEB上でよむこともできます。これに対して、光文社古典新訳文庫版の特徴は、60ページにわたる訳者解説です。他作品との比較や、ユゴーの思想にも踏み込んだ、読み応えのある解説となっています。

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