「<法と自由>講義」仲正昌樹

概要

本書は、ルソー、ベッカリーア、カントの法哲学思想を読んでいくことで、法の本質を理解しようとする本だといえます。

第一回では、社会秩序からいかにして権利が生じてくるのか等がみられ、第二回では、東浩紀氏の一般意志2.0論における『一般意志』との対比などを通じて、ルソーの一般意志、社会論をさらに明確化します。ついで3,4回でベッカリーアが、5,6回でカントがとりあげられています。

以下、ベッカリーアについて気になった点をみていきます。

ベッカリーアと罪刑法定主義

ベッカリーアは刑法学の教科書などではよく名前がでてきます。

まず刑法思想というのは啓蒙思想の一環でした。中世の非合理主義を否定し、合理主義から出発します。干渉性、恣意性、身分性、苛酷性が中世的刑法の特徴とされます。これを否定しようとしたのがベッカリーアをはじめとする啓蒙期革命理論で、これがフランス人権宣言につながっていくとされます。

 

ベッカリーアの思想は消極国家、罪刑法定主義(の原型)、死刑廃止論などが特徴的です。何より現在に影響がおおきいのは罪刑法定主義でしょう。これが1789年の人権宣言で採用されます。

これをさらにおしすすめたのがフォイエルバッハ(とくに1801年の刑法の教科書)で、このことからフォイエルバッハは「近代刑法学の父」とよばれています。

罪刑法定主義について簡単に説明すると、法律により事前に犯罪として定められた行為についてのみ、犯罪の成立を肯定できる、という考え方です。

この背後に、民主主義の原理と自由主義の原理があります。

民主主義の原理は、国民が「正当に選挙された国会における代表者」を通じて、犯罪における処罰の対象を決める必要がある、という点にもとめられます。

また自由主義の原理では、個人において、行動の予測可能性を担保する点からも罪刑法定主義が要請されます。なにが犯罪か事前に知らされていないと、自由な行為が行えないからです。そこから、遡及処罰の禁止や、事後法の禁止が導かれます。

(くわしくは、参考文献を参照ください)

本書におけるベッカリーア

ほかに印象に残った点をみていきます。

第一。法律だけがおのおのの犯罪に対する刑罰を規定することができる。この権限は、社会契約によって統一されている社会全体の代表者である立法者にだけ属する。であるから、裁判官――彼自身社会の一員にすぎない――は、同じ社会の他の一員に、法律に規定されていないどんな刑罰をも科すことはできない。裁判官が、もし法律で規定されているより厳しい刑を科した場合、その刑罰は不正となる。なぜなら、そのばあい裁判官はすでにきめられている刑罰の上に新しい刑罰を加えて科したことになるから。したがってまた、どんな裁判官も、たとえ公共の福祉のためという口実をつけようとも、ある市民の犯した犯罪に対して既に宣告された刑を加重することはできない。

(本書164p)

さきほどのべた罪刑法定主義の原型となる部分です。たとえが適切かはわかりませんが、博物館の収蔵品をみるような気持でみました。

内容については、ベッカリーアにおける刑罰権の考え方*1がこの帰結をもたらした点が確認できます。

また、裁判官の判断は文理解釈によるべきという考え方(172)をとっていたことなども指摘されています。

死刑廃止論

すなわち、死刑の廃止に協力すること。それゆえ著者は、もろもろの革命がまだ引き抜いていない唯一の柱たる死刑台の柱を打ち倒すことに数年来つとめている、各国の殊勝な人々の希願と努力とに、心底から左袒さたんする。そして弱小な者ではあるが、喜んで自ら斧の一撃を加えて、多くの世紀をさかのぼる昔からキリスト教諸国の上につっ立っている古い磔刑台に、六十年前ベッカリアが与えた切り口を、力のおよぶかぎり大きくしたいのである。

(1832年の序文、後掲青空文庫へのリンク参照)

ベッカリーアの死刑廃止論は、ヴィクトール・ユゴーの「死刑囚最後の日」の「序文」においても紹介されており、訳者解説では、ユゴーはベッカリーアの理論を引き継ごうとした、とされています。では、その死刑廃止論はどのようなものだったのでしょうか。(211以下)

まず、一般意志の表象としての法律は、うえで少しのべましたが、各人が自由を一部譲渡した結果でしたので、この譲渡部分以外は一般意志の指揮下に入らないはずです。これが私的自由です。ここで、各人は「自分を殺す自由」を、人々は自ら差し出すだろうか、というのがベッカリーアの主張です。これにたいしては批判が可能で、ディドロが批判しています。死刑の必要性を、各人が同意することもあるだろう、という批判です。

つぎに、死刑は「国の市民に対する戦争」である、と主張します。この考え方からは、シュミット的な例外状態でなければ、社会契約の範疇内では、市民の命を奪う必要性はない、と主張しています。

また、死刑を「みせしめ」とすることについても、その効果について反対していますが、それは、たんなる「見世物」あるいは「同情」してしまうから(=教訓的作用がない)、という理由で反対しています。(217)

この点、ユゴーもにたようなことをいっています。

ところで、われわれは実例をまず否定する。刑罰を示して所期の効果を生ずるというのを否定する。刑罰を示すことは、民衆を訓育するどころか、民衆の道徳を頽廃させ、その感受性を滅ぼし、したがってその徳操を滅ぼす。

(同)

また、犯罪を予防するためには、法律を「簡単、明瞭にし、愛されるものに」するのがいい、と主張している点、ならびに「国民の様々の階級のどれかを、個々の国民以上に優遇しないでください」と、のべていること(224p)は、なるほど、と思いました。明瞭性、平等性といった原則は、こういった意味でも、「自由」につながっているのだ、と気づかされました。

おわりに

今回は上で書いた部分の正確性(ベッカリーアの死刑廃止論など)に自信がないので、間違いなどあればご指摘ください。本書はやや専門的ですが、この種の話題に興味のある方にとってはとても面白い一冊になっています。

 参考・引用文献

 

 

 

*1:(各人がその自由を、必要性によって一部譲渡した総和が刑罰権の基礎である、という考え方)

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