法の正当化について

きっかけとなったはてな匿名ダイアリーの記事について

法律って物理的なモノとしてあるんですか?
法律って、物理的なモノとしてあるんですか?「法律にこう書いてある」と言われても、その法律ってどこにあるんですか?って思いませんか?六…

を読んで、個人的にいくつか気になったことがあったので、調べてみました。

上記記事は

①法律の文言の正当性の根拠は何か(原本⇒複写の問題)

②法律の内容の正当性の根拠は何か(法自体の正当化の問題)

を問うていて、そのうえで

追記1は①に関して、ある種ナイーヴな複写にまつわる不安を、

追記2は②に関して「〇〇罪」の社会的実在を主張しているわけです。

①については、僕も法律が公布される過程についてはまったく知らないので内閣法制局へのリンクを貼っておくことにします。

法律の原案作成から法律の公布まで / 内閣法制局

法律の内容の正当性について

②についてですが、現在の人は法律があるからといってその内容が適正である、と素直には考えないと思います。これは「法の支配」を裏側からささえる信念の一つでもありました。

法の支配と法治主義

これについては知っている方は読み飛ばしていただけたらと思いますが、一応説明しておきます。

法の支配とは教科書風にいえば

専断的な国家権力の支配を排斥し、権力を法で拘束することによって、国民の権利・自由を擁護することを目的とする原理をいう

(芦部憲法など)

ということになります。英米法に根拠を持つ原理です。

具体的内容については

①憲法の最高法規性

②権力により侵されない個人の人権

③法の内容、手続きの構成を要求する適正主義

④裁判所の、権力の恣意抑制役割の尊重

があげられます。本記事に関連するテーマでいえば③が重要ですね。

これにたいして戦前ドイツの原理であった法治主義は、

①法の支配が民主主義と結びつくのに対し、法治主義は政治体制にたいし中立的

②法の内容を問題とせず、形式的法律にしたがえばよかった

という点において、ことなるわけです。(以上、試験対策講座「憲法」より)

(また「概説西洋法制史305pのコラムも参照」)

ここで②の疑問についていえるのは、その前提となっている「法の内容の正当性」は、歴史的・相対的な形成物だということです。つまり、法そのものの普遍的な本質ではないわけです。

法の内容の歴史

ここで「法の文化社会史」をひきますと、中世末期、イタリアのロンバルディア平原に、のちに「法の乳母」と呼ばれるにいたるストゥディウムが成立します。ボローニァ大学です。この大学でローマ法文献の解釈が行われていましたが、そのさい、「コルプス・ユーリス(市民法大全、ユスティニアヌス法典)」というテキストが解釈の対象とされました。

ここで注目したいのは、その解釈の方法です。

解釈者が当該テクストの真理性につき何らの判断も下さぬ仲介者たる地位にとどまっている――というより、その真理性を絶対的前提としている――という点で、今日のそれと決定的に相違していたのである

(13p)

すなわち、コルプス・ユーリスは「書かれた理性」でした。

書かれた理性としての個々の法文は、全体との関連を問うまでもなく、直ちに真理そのものとされ(…)

(14p)

この段落は私見ですが、現代のように印刷術が発達していなかった時代、知識というのは時の経過とともに失われてゆくものでした。火事、水害といった災害を耐え抜き、紙魚などの外敵にさらされなかったとしても、パピルス紙は地中海の気候では数百年で読めなくなってしまいます。また、それを残していくには写本という作業が不可欠でした。知識とは失われゆくもので、歴史とは劣化の過程であるとみなされていました。

話を戻しますと、このようにコルプス・ユーリスの法文の字句の意味を厳格に明らかにする解釈方法を「註釈glossa」、ついでそれを実務に応用したものを「註解commentaria」といいます。

以後、中世においては法解釈を通じて実質的に法を創造していったわけです。

ローマ法原典はいまや中世的精神によって満たされる器に過ぎなかった

(概説西洋法制史133p)

ローマ法の相対化

としても、ローマ法は絶対的な位置をたもっていましたが、やがてその権威を失う(相対化される)こととなります。

まず、人文主義法学による批判があります。三巨頭triumviriととばれる、アルチャート、ビュデ、ツァジウスらが代表です。

詳しくは「概説西洋法制史」201p以下を参照いただくこととして、大まかな特徴としては

①文献学的方法

②体系化の試み

がありました。

近世の自然法論

ともあれ先を急ぎましょう。近世の自然法論にまで話を進めます。この特徴は、人間理性をあらゆる法的判断の公準として用いた点にありました。(同245)これが「新旧論争」をへて、啓蒙主義的な理性法論へと発展します。

この帰結としては、

①人間理性にのみ依拠することで、宗教的権威からの解放と、ローマ法(書かれた理性)からの解放を同時にもたらした

②理性を出発点とすることで、普遍的妥当性を主張することができた

ことがあげられます。

法の正当化について②

18~19世紀にサヴィニーという法学者がいました。きわめて単純化しますと、彼にとって法とは、民族とともに発展するものでした。法の生成とは

習俗⇒慣習法⇒法学

という流れを踏むものであり、立法者の恣意によって生ずるものではない、とされます。

これは自然法論と衝突する考え方でした。(理性⇒普遍性と民族⇒個別性)この対立がもととなって生じたのが1814年の法典論争です。

近代公法学以降

近代に入り、公私、政治と非政治の分離が意識されるようになり、フランス革命の影響を受けたドイツにおいて、近代公法学が成立してきます。

ここで法治国家論などが登場してきます。ともあれ、②の疑問について考える関係上、ここはカントの自然権思想に示唆をむけるくらいにしておきます。

カントはヴォルフの自然法論に対抗し、国家目的幸福説を批判しました。ヴォルフの幸福説の背景には、社会契約説がありましたが、ヴォルフの社会契約説は、自然権の譲渡を本質とするものでした。これにたいしてカントは社会契約の本質を自然権の保護にあるとして、国家目的を自由の保護に限定しました。

この新自然法論と、「国富論」、フランス革命などによって、自由主義が流行します。(1800年前後のドイツ)

これをうけたカント主義者は、こうした国家観を法治国家とよぶようになり、そのスローガンとして用いるようになりました。(以上、概説西洋法制史304pより)

この法治国家概念はしだいに形骸化、形式化されてゆき、オットー・マイヤーの行政法学に引き継がれてゆくのですが、それについては書籍を参照ください。

小括(私見)

どうも、法律の正当化根拠への問いが出てくる背景には、法律の歴史性の認識と、個人の意識のたかまりがあるようにおもわれます。

すなわち「書かれた理性」、(日本ならば「お上」?)を絶対と信じる姿勢であれば、法律の内容の適正についてはそもそも問題にならないわけでして、②の問いも出てこないわけです。

そして、法内容の古典的な正当化根拠としては、理性と民族的慣習に根差した伝統、別の角度からですが社会契約や自然法思想がありそうですが、そのほかにも、プラグマティズム的な正当化(これで社会がうまくいく)や、一定の哲学・思想信条からの正当化(〇〇主義国家における法など)、手続き合理性、公正としての正義等にもとづく正当化などもあげられそうです。

もちろん、法の内容が適正で「あるべき」と、現に適正で「あるか」という問題は区別されるべきです。ここではカントロヴィッツの自由法論が存在することを紹介しておくにとどめます。

最後に

言い訳がましくなりますが、現代の法思想については私の手には負えないので割愛させてください。

ふたたび②について考えてみると、

②A法の内容の適正性

と、

②B法の内容の適正性

という二つの問題があり、②Aについては議論があるものの、「法の内容は適正でなければならない」という一文を正当化するだけでいいので、話は早いともいえます。ある意味正義をもちだして、

ところが②Bについては、この適正性とはなんのことなのか、普遍的な正義のことなのか、それともローカルな妥当性にすぎないのか、というところで、哲学の分野で、今もなお議論が行われているところです。このあたりは繰り返しになりますが整理が足りていないので、いずれ。

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